生喜堂 院長
藤田 賢一(ふじた けんいち)
1954年生まれ 大崎市古川出身
生喜堂のホームページをご覧いただきありがとうございます。
当院では、楽なように身体を動かして歪みを正し健康的な状態に戻す、痛くない全身整体「リラックス操体」を行っております。
誠心誠意施術をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
◆操体法との出会い
40代の頃私は長距離トラックの運転手として働いており、肩凝り腰痛に苦しみ、松島マラソン大会に参加するための練習中に膝と腰を痛め、整形外科・整骨院で治療してもなかなか楽にならず辛い日々が続きました。
ところが42歳の時に『操体法』の佐藤武先生を紹介されて施術していただいたところ、身体が驚くほど楽になったのです。
「これは素晴らしい」と思い、「操体法を学びたい」と操体法の創案者 橋本敬三先生の温古堂の門をたたき、橋本千春先生の元で現在まで17年間勉強させていただいております。
(現在は毎週木曜日は温古堂にて講師を行っていますので、生喜堂は定休日とさせていただいております)
◆震災後の避難所・仮設住宅でのボランティア
名取市は2011年の東日本大震災での津波の被害が大きく、多くの方が長期間にわたり避難所・仮設住宅での生活をされております。
避難所は当初はどこも被災した方であふれて身動きもできないほどで、食事もおにぎりなど。血栓ができるのではないかとの心配から、震災後3月末から名取市内の避難所12カ所と、亘理逢隈小中学校、亘理高校、亘理災害ボランティアセンターを巡り、ボランティアで健康体操の指導と整体の施術により被災者の身体のケアを行いました。
◆名取市増田に「生喜堂(いきいきどう)」開院
生喜堂ははじめは出張整体専門でした。
2012年12月にボランティアを続けながら、名取市増田三丁目に『生喜堂』開院。
避難所が閉鎖された後も、みなし仮設の方たちを集会所公民館に集めてのボランティア12カ所と仮設住宅5カ所を震災から3年間周り、2015年3月まで仮設住宅3カ所でのボランティアを続けてまいりました。
ボランティアで身体のケアをした被災者の人数はのべ3500名以上にもなります。
◆突然のくも膜下出血で生死の境に
2014年9月25日、整体の仕事を終え片づけをしている最中に突然のくも膜下出血を起こし昏倒、合併症で水頭症と心不全と髄膜炎も発症して、23日間も集中治療室で生死の境をさまよいました。
担当医には髄膜炎を起こして治療している時に「よく戻ってこれたね」と言われました。かなり危険な状態だったようです。
ベットから身体を起こすこともできない状態でしたが、この間にも自由にならない体ながらも「一人操体法」をずっと行っておりました。手術に向け体力が回復するのを待ち、11月10日に8時間にも及ぶ小脳動脈解離バイパス手術を受けました。
12月5日に退院するまで「一人操体法」と病院でのリハビリと、当院のスタッフによる操体法の施術を病室で受けて頑張りました。
退院翌日にはすぐにスタッフ相手に操体法施術をリハビリとして練習し、12月21日に本格的に患者さんに施術し、復帰しました。身体もバッチリ戻りました。
現在も後頭部にパックリ開けたような手術の大きな傷跡が残っていますが、こうして身体も治り麻痺なども残らず、今まで通りに整体を続けられることに喜びを感じています。
生喜堂 副院長
浅沼 光世 (あさぬま みつよ)